女子レーサーを引っ張ってきた「インの鬼姫」引退
女子競艇選手の第一人者である鵜飼菜穂子選手が引退されました。
最後のレースは常滑ヴィーナスシリーズ(24日~29日)の最終日。
鵜飼選手はいえば、積極的な前付けが有名です。
「外からじゃ勝てない!」と、常に前付けのレース。
ついた異名は「インの鬼姫」。90年から女子王座決定戦(現レディースチャンピオン)を3連覇したレジェンドです。
最後となったラストランは、インからトップスタートを決めて見事1着。
いかにも鵜飼選手らしい勝ち方で締めくくりました。
「スタートだけは行こうと思ってました。エンジンも良くなり、心に余裕ができましたね」とのコメント。
引退レースに相応しい、地元常滑で素晴らしいレースを見せてくれました。
それでは気になる引退理由を見てみましょう。鵜飼選手はこのように語っています。
「父の介護が忙しくなり、ボートレーサーの仕事が二の次になってしまった」とのこと。
それが引き金となり、勝率規定を満たせなくなったことによる引退のようです。
ファンに対してのメッセージでは、
「私はファンに愛されるレーサーになるのが一番の目標でした。「鵜飼、頑張れ」って声援が一番の励みになりました。本当にありがとうございました」
と温かいコメント。
さて、後輩の女子レーサーへのメッセージでは、
「今の女子選手は目標が低過ぎると思います。ボートレースは男女が同じ土俵で戦える数少ないプロスポーツ。女子レースでそこそこ頑張るのではなく、「もっと上を目指そうよ」って言いたい。ガラスの天井を破ってほしいと思っています。」
と厳しいコメントでした(笑)
それもそのはず、鵜飼選手は81年のデビュー選手です。
当時の女子レーサーは17人だけ。大して男性のボートレーサーは1400人を超えています。
レースの技術だけでなく、精神力も超人的でないと務まりませんね!
その当時は「トイレすら(男子と)一緒だった」というから驚きです。
今回のコメントも鵜飼選手ならでは、と言ったところ。
鵜飼選手の人柄が伝わったでしょうか。
鵜飼選手が長い間、女子レーサーを引っ張ってきたのは間違いありません。
一時期は、新人女子の空白期間や、現役女子が4人だけなど、女子レーサーは崖っぷちの状態でした。
そんな中、鵜飼選手を始めとした女子レーサーが活躍していきます!
マスコミの注目を集め「女子選手の大量応募」の呼び込みに成功!
1987年(昭和62年)には109人にまで急増することができました。(現在は203名)
鵜飼選手の功績は素晴らしいものですね!お疲れ様でした。
鵜飼菜穂子(うかい・なほこ)
1959年10月4日生まれ(61歳)
愛知県名古屋市出身
82年6月に住之江で初優勝
90年から92年にかけて女子王座決定戦を3連覇
通算優勝56回
生涯獲得賞金は7億3196万248円
1着は1691回
通算7077走、1692勝